fixedImage


アルパインプレゼンツ 第3回 宮本慎也杯
女子中学軟式野球大会 決勝戦が開催されました。
優勝「オール栃木」
準優勝「兵庫西宮ベルズ」
敢闘賞「城南鵬翔クラブ、岐阜エンジェルス」

 

2023.08.13 第2回 宮本慎也杯 女子中学軟式野球大会 2日目が終了しました。
2023.08.12 第2回 宮本慎也杯 女子中学軟式野球大会 1日目が終了しました。
2024.07.24 第3回 宮本慎也杯 女子中学軟式野球大会のウェブサイトを開設いたしました。

 

 

| 大会概要 | 大会理念 | 日程 | 会場 | お問い合わせ |

大会概要

大会名
アルパインプレゼンツ 第3回 宮本慎也杯 女子中学軟式野球大会
主催
宮本慎也杯実行委員会
後援
加須市 / 加須市教育委員会

特別協力
東京新聞 / 東京中日スポーツ
特別協賛
アルパインマーケティング株式会社
協賛

アサヒ通信株式会社 / 株式会社アルプス物流 / Sky株式会社 / 株式会社ゼンリン /
株式会社ソニックジャパン / テイ・エステック株式会社 / ナガセケンコー株式会社 /
株式会社ナカムラロジスティクス / 株式会社日立産業制御ソリューションズ /
株式会社フィールドフォース (以上 五十音順)

参加チーム

Gratias Wish BC / JBC札幌 / 山形スマイルガールズ / オール栃木 / アイ・ガールズ板橋 / 城南鵬翔クラブ /
ISHIKAWA USIC Girls / 岐阜エンジェルス / 愛知ベースボールガールズ / イチノミヤドリームガールズ /
滋賀マイティーエンジェル / 兵庫西宮ベルズ(都道府県順)

大会日程  2024810日(土)11日(日)

大会1日目〜
810日(土) 第1試合〜第4試合
大会最終日
準決勝・決勝戦

8月11日(日)

※天候および会場の事情などにより日程が変更になる場合があります。

 

参加費
1チームにつき10,000円(試合方法:トーナメント戦)
表彰

優勝チームには優勝旗・優勝杯(持ち回り)、賞状・メダルを授与。
準優勝チームには準優勝杯・賞状・メダルを授与。
3位チームには盾・賞状・メダルを授与。

※メダルは各チーム25個を上限として登録選手人数分を授与します。

使用球
ナガセケンコーボールM号球(主催者が用意したもの)
適用規則
・ 2024年公認野球規則及び本大会規則を併用する。 
 
投球数100球として球数制限とする。
※申告敬遠の適用はしません。

大会理念

宮本慎也杯 女子中学軟式野球大会は、女子中学軟式野球を通じて子供達に野球の楽しさを教え、女子中学生の健全な育成を目指します。
また、子供だけでなくすべての子育て家族の幸せを創造します。 女子中学軟式野球らしく、正々堂々フェアプレー精神を醸成します。
また野球以外の場面でも必要な協調性や社会性、マナーを身につけられるように積極的に働きかけ、
子供達だけでなく、指導者や家族も含めた学びの場となる機会とします。
ここに揚げた理念により、本大会は野球を愛し理念に賛同する個人・チームの参加を心から歓迎します。

 

会場

試合会場

加須きずなスタジアム
(加須市民運動公園野球場)
埼玉県加須市下三俣590番地

試合会場

田ヶ谷サン・スポーツランド野球場
埼玉県加須市上崎1850-1

試合会場

大利根運動公園野球場
埼玉県加須市北下新井684-1

宮本 慎也 Shinya Miyamoto

PROFILE

【生年月日】 1970年11月 5日
【出 身 地】 大阪府吹田市
【身 長】 176 cm

BIOGRAPHY

2020年〜 NHK野球解説者 / 日刊スポーツ評論家
2018年〜 2019年 東京ヤクルトスワローズ ヘッドコーチ
2014年〜 NHK野球解説者
2014年〜 日刊スポーツ評論家
2016年4月12日発売 書籍「師弟」野村克也/宮本慎也 著(講談社)
2014年 3月15日発売 書籍「意識力」(PHP研究所)
2013年12月13日発売 書籍「歩 -私の生き方・考え方-」(小学館)

PL学園高校〜同志社大学〜プリンスホテル〜東京ヤクルトスワローズ
表彰
・ベストナイン1回 2011年(三塁手として)
・ゴールデングラブ賞10回 1997年,1999年〜2003年(遊撃手として) 2009年〜2012年(三塁手として)
・アテネオリンピック予選アジア選手権MVP(2003年)
・月刊MVP1回(2011年4月)
記録
・2000本安打(2012年5月4日対広島戦) 通算2133本
・400犠打 (2012年9月26日対阪神戦) 通算408犠打

1970年11月5日、大阪府生まれ。PL学園高校時代1987年の第69回全国高等学校野球選手権大会では唯一2年生として決勝戦に出場。三塁手として先発出場し全国優勝。
卒業後は同志社大学に進学。関西学生リーグでは、1990年春季のリーグ戦で首位打者を獲得
プロの誘いもあったが、社会人野球のプリンスホテルに入社した。
1994年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団、アテネオリンピック野球日本代表(2004年)、北京オリンピック野球日本代表(2008年)ではキャプテンを務めた。2013年8月26日に現役引退を表明。
10月4日の引退試合では対阪神戦(神宮)2番遊撃手で先発出場を最後に19年のプロ野球生活を終えた。2018年からは東京ヤクルトスワローズの一軍 ヘッドコーチに就任し、2019年退任。今後はNHK野球解説者 / 日刊スポーツ評論家として活動。